2008年01月28日
我はいかにして神職になりしか(中)
ど~でもいい話なんですけれども・・・・・・
さて、私が宇宙戦艦ヤマトの波動砲の前で、無残にも塵と化す悪役のごとく、「あんたの将来、いきなり神主」と、本人の意思を無視して親や地域住民に決められた話までは終わった。
当時、中学生の私は親には食わせてもらわないといけない反面、そ~いうのはいくらなんでも、ないだろう。と、言うわけで虎視眈々と神主脱出の機会を狙っている間に、性格がいびつに深く、暗くねじまがり、しかし根っからの嬉しがりに加えて、目立ちたがりのお調子者でもあるので、中島みゆきの歌とDJのごとく、人格が少なくとも二つ以上に分裂したんじゃないかと思われるくらい、まとめようのないよくわからない性格が形成されてゆくことになる。
他にも性格がゆがむ事件、原因、環境etcは多々あるが、それらを指折り数えて語りだすと、千一夜どころの騒ぎでなくなるので割愛する。(機会があったら書くかもしれないけれど)
さて、二浪の末かろうじてひっかかったのは、烏丸北大路大学の哲学科。お調子者のキャラを生かして「落研」に入る。1回生のときに一番下の神主の資格を取得した。なんで日本に二つある神主大学じゃないのか? といわれると当時は神主になる気なんぞさらさらなかったから。宮司になるには下から二番目の資格がいるのだが、要はいつでも逃げ出せるようにしておきたかったのだ。(結局、イロイロあってその8年後にその資格を取得する)
そいつが、なんで180度ターンして、神主をする気になったのか? というとイロイロと複雑怪奇な経緯があるのだが、経緯をすべて書いていると・・・それも千年語っても語りきれないお話になるので、要点をいくつか挙げると・・・・・
哲学科で宗教学、妖怪なんぞが好きなのでそ~言う話をそれなりに民俗学やら心理学やらの本を読んでいるうちに気づいたのだが・・・「ヤマトの波動砲のような過程が嫌だった」のであって、「神職そのものが嫌ではなかった」事。
資格とって適当に神職と、稼ぎを両立させることができたらいいじゃん~と甘く考えていた頃もあった。しかし、まじめに神社に取り組んでくださる方々もおられる。神職が適当なことをして、氏子さんがまじめに取り組んでるのに、神主は氏子さんに対して失礼なんじゃないかい?
惚れた女にふられて3年ほどアイデンティティを喪失して腑抜けになってしまった経験があるのだが・・・そのオネーチャンが数年ぶりに連絡をくれて「私の部屋で話しなぁ~い」と誘ってくれて、ひょいひょいと乗ってしまって新興宗教に勧誘されたこと(彼女は洗脳されていた。私は、てっきり部屋には布団が引いてあること、信じて疑わなかったのに!!! わかるか、この悔しさと情けない思いを!!)それ以来、私はおかしな新興宗教を憎むことになる。
また、当時勤めていた印刷屋で数名で飲んだとき(いわゆる第二次新興宗教ブームで、オウム真理教が問題視され始めていた頃)に同僚に「既成の宗教がしっかりしないからおかしな宗教が流行るんだ!」との言葉に反論できなかった事。そう、おかしな新興宗教を憎む刃は、自分たちにも向けられる刃でもあったのだ。
神主MLで知り合った一般の方で神職になった方と話して「なんで神主なんぞ食えない仕事に?」と尋ねたら「神様に呼ばれたから」と言う言葉か返ってきて・・・・「そうか、私も神主脱出計画を何度も立てて、失敗したが、きっと神様が呼ばはったから逃げられないんだ。だったら、立ち向かわないと仕方ないよなぁ~」と共感してしまったことに止めをさした。
簡単にかけばこういう経緯で、「神主なんぞなってやるかい~」から「神主まじめにやらないかん」という方向へ転んでしまったのである。まさに「人生一事が万事 塞翁が上田馬之助」だったりすので侮れない。困ったもんだ。
さて、次回こそは「なんでタクドラなのか?」という結論に入る。
とりあえずそ~言うわけで。
今回もめでたし、めでたし。
さて、私が宇宙戦艦ヤマトの波動砲の前で、無残にも塵と化す悪役のごとく、「あんたの将来、いきなり神主」と、本人の意思を無視して親や地域住民に決められた話までは終わった。
当時、中学生の私は親には食わせてもらわないといけない反面、そ~いうのはいくらなんでも、ないだろう。と、言うわけで虎視眈々と神主脱出の機会を狙っている間に、性格がいびつに深く、暗くねじまがり、しかし根っからの嬉しがりに加えて、目立ちたがりのお調子者でもあるので、中島みゆきの歌とDJのごとく、人格が少なくとも二つ以上に分裂したんじゃないかと思われるくらい、まとめようのないよくわからない性格が形成されてゆくことになる。
他にも性格がゆがむ事件、原因、環境etcは多々あるが、それらを指折り数えて語りだすと、千一夜どころの騒ぎでなくなるので割愛する。(機会があったら書くかもしれないけれど)
さて、二浪の末かろうじてひっかかったのは、烏丸北大路大学の哲学科。お調子者のキャラを生かして「落研」に入る。1回生のときに一番下の神主の資格を取得した。なんで日本に二つある神主大学じゃないのか? といわれると当時は神主になる気なんぞさらさらなかったから。宮司になるには下から二番目の資格がいるのだが、要はいつでも逃げ出せるようにしておきたかったのだ。(結局、イロイロあってその8年後にその資格を取得する)
そいつが、なんで180度ターンして、神主をする気になったのか? というとイロイロと複雑怪奇な経緯があるのだが、経緯をすべて書いていると・・・それも千年語っても語りきれないお話になるので、要点をいくつか挙げると・・・・・
哲学科で宗教学、妖怪なんぞが好きなのでそ~言う話をそれなりに民俗学やら心理学やらの本を読んでいるうちに気づいたのだが・・・「ヤマトの波動砲のような過程が嫌だった」のであって、「神職そのものが嫌ではなかった」事。
資格とって適当に神職と、稼ぎを両立させることができたらいいじゃん~と甘く考えていた頃もあった。しかし、まじめに神社に取り組んでくださる方々もおられる。神職が適当なことをして、氏子さんがまじめに取り組んでるのに、神主は氏子さんに対して失礼なんじゃないかい?
惚れた女にふられて3年ほどアイデンティティを喪失して腑抜けになってしまった経験があるのだが・・・そのオネーチャンが数年ぶりに連絡をくれて「私の部屋で話しなぁ~い」と誘ってくれて、ひょいひょいと乗ってしまって新興宗教に勧誘されたこと(彼女は洗脳されていた。私は、てっきり部屋には布団が引いてあること、信じて疑わなかったのに!!! わかるか、この悔しさと情けない思いを!!)それ以来、私はおかしな新興宗教を憎むことになる。
また、当時勤めていた印刷屋で数名で飲んだとき(いわゆる第二次新興宗教ブームで、オウム真理教が問題視され始めていた頃)に同僚に「既成の宗教がしっかりしないからおかしな宗教が流行るんだ!」との言葉に反論できなかった事。そう、おかしな新興宗教を憎む刃は、自分たちにも向けられる刃でもあったのだ。
神主MLで知り合った一般の方で神職になった方と話して「なんで神主なんぞ食えない仕事に?」と尋ねたら「神様に呼ばれたから」と言う言葉か返ってきて・・・・「そうか、私も神主脱出計画を何度も立てて、失敗したが、きっと神様が呼ばはったから逃げられないんだ。だったら、立ち向かわないと仕方ないよなぁ~」と共感してしまったことに止めをさした。
簡単にかけばこういう経緯で、「神主なんぞなってやるかい~」から「神主まじめにやらないかん」という方向へ転んでしまったのである。まさに「人生一事が万事 塞翁が上田馬之助」だったりすので侮れない。困ったもんだ。
さて、次回こそは「なんでタクドラなのか?」という結論に入る。
とりあえずそ~言うわけで。
今回もめでたし、めでたし。