2008年06月07日
二束の草鞋とゆ~生き方(大げざだ)の問題
メッセージをいただきました。現在、メールソフトがぶっ壊れて、お返事まったくできません。修復する時間もないのと、投稿された方と同様の思いを持ったを方も折られるかと思い、この場を借りて、投稿された方のプライバシーを損ねないように配慮して、お返事するついでに「二束草鞋」の問題をすこし醸してみようかとおもふ。
メッセージその1(独断と偏見で要約)
神社の権利が自治会のものになっており、ご自身と娘さんは資格をお持ちだが、兼務社もあり。本務社はがんばったら食えるようになるかもしれないので、やる気のある娘さんに頑張ってもらって、兼務社の管理は将来やんぺしにます。 とのおはなし。
見え隠れするのはこの業界の最大問題「神社の氏子離れ」というやつ。しかし御祖父様ががんばってこられてという部があります。
ウチの社は元々宮司さんをされていたお家の息子さんが「跡を継がない」宣言をされて、社家の14男だったウチの親父に白羽の矢が当たり、私にまでとばっちりがとんできた事に話が始まるのですが、その元々の宮司さんはなんかやる気がない方だったように聞き及んでおりす。加えて私の親父(宮司)もその流れで「休日にちょいと働いて、ややこしいことは家族に任せて、小遣いが稼げたらいいや~」とのノリが見え隠れしていたので、正直、「感謝はするが尊敬はできない」ダメ人間としか思っていない。
さて、家族に尊敬されない人間が、宮司となって、氏子さんに尊敬されるのか? 実際、イロイロと問題が発生した際に、ボロがボロボロでてしまい、氏子さんからは御祈祷の依頼(それも減っている)に対応するのみで、将来、社をどうしよう? といった展望も持たず、惰性と成り行きとその場しのぎで神主やってます。
私は神職を継がないように、逃げてきたつもりだったのですが・・・・いろんな神職さんと出会うことになりそのうちのお一人から(元々、神職のおうちではないのに神職になってしまった方)の「神様に呼ばれて神職になってしまった」という言葉が自分にも当てはまるように思えて・・・・逃げまくったのに、逃げ切れうないのは、神様が私を選んで、ウチの社を良くしてくれと、そういうメッセージじゃないのか? と勝手に解釈して「田舎神社活性化計画」を立案、自社だけで暴れても効果は少ないのでどこのどんな社をどう巻き込んでやろうか? その下調べも兼ねてタクシーやってる次第。 当然、頃合をみてケツまくって次へすすみます。たとえ泥水すすることになってもね。
ウチのお社は氏子世帯数600世帯あるんです。1世帯が年間1万円神社に出してくれたらら、十分食えるんです。なぜそれがなされないのか? 答えはj簡単。神社が氏子さんに対して、それ以上の価値を見出していないから。 神社の氏子離れの原因は、神社が氏子さんの役にたっていないからです。じゃあ、何をどうしたら氏子さんの役に立てるのか? 私の答えは既にでていますが、ここではちょっと内緒にします。 多分、投稿された方も自分なりの答えを出されていて、試行錯誤されながら、頑張っておられることと思います。
メッセージその2(独断と偏見で要約)
「二足のわらじ」って、神道者として理想的な生き方だと思います。宮司になりたいです
神社、個々の事情、規模などの問題もありますので、二束の草鞋の良し悪しはさておき、理想的か? といえば私はそうは思わない。私も若い頃は「純粋な奉仕」と考え、「奉職」なんて「奉仕」と「職業」というある意味矛盾した概念を善しとする業界に疑問をもっておりました。
しかし、二束の草鞋を履かざるを得ないと、休日がなくなる、仕事がバッティングする、どっちも付かずになるといった弊害も多々発生します。理想を言えば草鞋を二束も履かずに済むならそれに越したことはないと思います。
それに神社だって、自力で運営してゆく費用を調達できればそれにこしたことはない。そのために何をするのか? なにができるのか? を考えて行動するには、二束の草鞋を履いていると時間がたりない。私は自分の世代では二束の草鞋をはかないとしかたがないとは思っていますが、次の世代では神社だけでやってゆけるようにレールを引いておきたいと思っています。勿論、そのレールに乗る、乗らないは次の世代の判断に任せます。
で、正直、私のところに「宮司になりたい」書いて送っていただいても「あぁそうですか」としか言いようが無い。私はそういう求人情報もってないしね。宮司の求人なんて職安いっても神社庁いっても無いと思うよ。それこそ縁の問題で、なりたくて成れない人がいりゃ、成りたくなくてもならざる得ない人もいる。社家出身じぁなくとも宮司になってる人はいる。これはもう。。。神様に選ばれるかどうかの問題で、人間様が悩んでも困ってもどうしょうもない。
去年だったかな、神職の求人を出して、神社の支部を出して大手建築コンサルタントの地鎮祭を専門に受けて、稼ぎ荒らして問題になった神社もあったけれど(詳細はしらないよ)・・・・こういうおかしな神社にひっかからないように頑張ってください。
メッセージその1(独断と偏見で要約)
神社の権利が自治会のものになっており、ご自身と娘さんは資格をお持ちだが、兼務社もあり。本務社はがんばったら食えるようになるかもしれないので、やる気のある娘さんに頑張ってもらって、兼務社の管理は将来やんぺしにます。 とのおはなし。
見え隠れするのはこの業界の最大問題「神社の氏子離れ」というやつ。しかし御祖父様ががんばってこられてという部があります。
ウチの社は元々宮司さんをされていたお家の息子さんが「跡を継がない」宣言をされて、社家の14男だったウチの親父に白羽の矢が当たり、私にまでとばっちりがとんできた事に話が始まるのですが、その元々の宮司さんはなんかやる気がない方だったように聞き及んでおりす。加えて私の親父(宮司)もその流れで「休日にちょいと働いて、ややこしいことは家族に任せて、小遣いが稼げたらいいや~」とのノリが見え隠れしていたので、正直、「感謝はするが尊敬はできない」ダメ人間としか思っていない。
さて、家族に尊敬されない人間が、宮司となって、氏子さんに尊敬されるのか? 実際、イロイロと問題が発生した際に、ボロがボロボロでてしまい、氏子さんからは御祈祷の依頼(それも減っている)に対応するのみで、将来、社をどうしよう? といった展望も持たず、惰性と成り行きとその場しのぎで神主やってます。
私は神職を継がないように、逃げてきたつもりだったのですが・・・・いろんな神職さんと出会うことになりそのうちのお一人から(元々、神職のおうちではないのに神職になってしまった方)の「神様に呼ばれて神職になってしまった」という言葉が自分にも当てはまるように思えて・・・・逃げまくったのに、逃げ切れうないのは、神様が私を選んで、ウチの社を良くしてくれと、そういうメッセージじゃないのか? と勝手に解釈して「田舎神社活性化計画」を立案、自社だけで暴れても効果は少ないのでどこのどんな社をどう巻き込んでやろうか? その下調べも兼ねてタクシーやってる次第。 当然、頃合をみてケツまくって次へすすみます。たとえ泥水すすることになってもね。
ウチのお社は氏子世帯数600世帯あるんです。1世帯が年間1万円神社に出してくれたらら、十分食えるんです。なぜそれがなされないのか? 答えはj簡単。神社が氏子さんに対して、それ以上の価値を見出していないから。 神社の氏子離れの原因は、神社が氏子さんの役にたっていないからです。じゃあ、何をどうしたら氏子さんの役に立てるのか? 私の答えは既にでていますが、ここではちょっと内緒にします。 多分、投稿された方も自分なりの答えを出されていて、試行錯誤されながら、頑張っておられることと思います。
メッセージその2(独断と偏見で要約)
「二足のわらじ」って、神道者として理想的な生き方だと思います。宮司になりたいです
神社、個々の事情、規模などの問題もありますので、二束の草鞋の良し悪しはさておき、理想的か? といえば私はそうは思わない。私も若い頃は「純粋な奉仕」と考え、「奉職」なんて「奉仕」と「職業」というある意味矛盾した概念を善しとする業界に疑問をもっておりました。
しかし、二束の草鞋を履かざるを得ないと、休日がなくなる、仕事がバッティングする、どっちも付かずになるといった弊害も多々発生します。理想を言えば草鞋を二束も履かずに済むならそれに越したことはないと思います。
それに神社だって、自力で運営してゆく費用を調達できればそれにこしたことはない。そのために何をするのか? なにができるのか? を考えて行動するには、二束の草鞋を履いていると時間がたりない。私は自分の世代では二束の草鞋をはかないとしかたがないとは思っていますが、次の世代では神社だけでやってゆけるようにレールを引いておきたいと思っています。勿論、そのレールに乗る、乗らないは次の世代の判断に任せます。
で、正直、私のところに「宮司になりたい」書いて送っていただいても「あぁそうですか」としか言いようが無い。私はそういう求人情報もってないしね。宮司の求人なんて職安いっても神社庁いっても無いと思うよ。それこそ縁の問題で、なりたくて成れない人がいりゃ、成りたくなくてもならざる得ない人もいる。社家出身じぁなくとも宮司になってる人はいる。これはもう。。。神様に選ばれるかどうかの問題で、人間様が悩んでも困ってもどうしょうもない。
去年だったかな、神職の求人を出して、神社の支部を出して大手建築コンサルタントの地鎮祭を専門に受けて、稼ぎ荒らして問題になった神社もあったけれど(詳細はしらないよ)・・・・こういうおかしな神社にひっかからないように頑張ってください。