2011年04月21日
摂社、末社のご祭神
現在、お社の解説書及びWebサイトの更新の為資料を引っかきまわし中。
地元商工会から摂社、末社の神様についても知りたいとの声もありました。ご祭神とご利益を明確にしてPRしたらというお話。個人的には「神様は処方箋」じゃないので●●に効く神様というPRは好きじゃないかれど、これを機会に「最終的には神様にまつわる記紀神話」まで合せて紹介できるようにしようと思い立ったしだい。
ここまでは良い。とりあえず暫定的にでも縁起由来の確認のため、お社名とご祭神を照らし合わせる作業をしていたのですが、ありゃりゃなんじゃこりゃ? という話が涌いて出た。ぶくぶく。
暫定版なのでネット上の百貨辞典を中心に検証したきたのですが、お社の名前とご祭神の関係がしっくりこない。
たとえば「大神神社」とある摂社のご祭神は当社においては天照大神とされてきた。しかし、大神神社といえば奈良の三輪大社。大物主が祭られているお社。当社は京都~奈良のほぼ中間に鎮座しますので奈良の影響があっても不思議ではない。しかし何故、ご祭神が異なるのか?
どこかで誤って伝わったのか? それともこれで間違いがないのか? 確認を取りたいのだが、何処の何の資料を当たればいいんだ?? 見当がつかない。
他にも昭和三十一年に作られた当社の案内(当時、当家は神職はしていなかった)には摂社として二歳大明神なる祠の名前のみがあって当時、祠はありませんでした。
しかし昭和五十年代に志ある方が小祠にて蛙を祀りたい(事情は省略)とのお話があり二歳大明神として祠を復活させた経緯があるのですが、元々何処に鎮座されていた何の神様なのか?
祠の痕跡さえありません。
ご本殿のご祭神も創建当時は「高皇産霊神」だったのが何時の間にやら「伊邪那岐命 伊邪那美命
菊理媛神」に代わっている。
何時ごろ何故代わったのか現時点では不明。
とりあえずは暫定版として現時点でわかっている事を記載しておくつもりですが、追跡調査もしてゆかないと後味が悪い。しかし、どこで何をどう確認してゆけばいいんだ?
謎は深まる。
地元商工会から摂社、末社の神様についても知りたいとの声もありました。ご祭神とご利益を明確にしてPRしたらというお話。個人的には「神様は処方箋」じゃないので●●に効く神様というPRは好きじゃないかれど、これを機会に「最終的には神様にまつわる記紀神話」まで合せて紹介できるようにしようと思い立ったしだい。
ここまでは良い。とりあえず暫定的にでも縁起由来の確認のため、お社名とご祭神を照らし合わせる作業をしていたのですが、ありゃりゃなんじゃこりゃ? という話が涌いて出た。ぶくぶく。
暫定版なのでネット上の百貨辞典を中心に検証したきたのですが、お社の名前とご祭神の関係がしっくりこない。
たとえば「大神神社」とある摂社のご祭神は当社においては天照大神とされてきた。しかし、大神神社といえば奈良の三輪大社。大物主が祭られているお社。当社は京都~奈良のほぼ中間に鎮座しますので奈良の影響があっても不思議ではない。しかし何故、ご祭神が異なるのか?
どこかで誤って伝わったのか? それともこれで間違いがないのか? 確認を取りたいのだが、何処の何の資料を当たればいいんだ?? 見当がつかない。
他にも昭和三十一年に作られた当社の案内(当時、当家は神職はしていなかった)には摂社として二歳大明神なる祠の名前のみがあって当時、祠はありませんでした。
しかし昭和五十年代に志ある方が小祠にて蛙を祀りたい(事情は省略)とのお話があり二歳大明神として祠を復活させた経緯があるのですが、元々何処に鎮座されていた何の神様なのか?
祠の痕跡さえありません。
ご本殿のご祭神も創建当時は「高皇産霊神」だったのが何時の間にやら「伊邪那岐命 伊邪那美命
菊理媛神」に代わっている。
何時ごろ何故代わったのか現時点では不明。
とりあえずは暫定版として現時点でわかっている事を記載しておくつもりですが、追跡調査もしてゆかないと後味が悪い。しかし、どこで何をどう確認してゆけばいいんだ?
謎は深まる。
Posted by 淀の生頭
at 13:15
│日々是発見