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Posted by 京つう運営事務局  at 

2010年03月07日

御所でゴソゴソ


 気がついたら一ヶ月ほど書けなかった。何かと多忙なのだ。まずは、DMで励ましのお便りくださった方。ありがとうございます。ちゃっちゃとお返事したかったのですが、帰宅した時点で脳味噌が腐ってしまって、文章が書けなくなってます。朝なら大丈夫なのですが、まぁ何かとバタつく事が多くてお返事できませんでした。陳謝です。ブログに書き込みできなくしたんです。未だにエロサイトの案内する馬鹿がいるので……
 嘘でも神主のブログでエロ宣伝したらまずでしょう。そりゃ、男だから嫌いじゃないけど、それって所詮「画像」でしかないじゃん。欲情の対象にならないのよ私の場合。この先は危なくなるので書くのは止すけどさぁ……

 で、ここのブログでは基本的に私がどこの誰かを隠して、愚痴るのが基本だったんだけれど……愚痴りたい事は実際たくさんあるんだけれど……書く暇がなかったら、気がついたら忘れてるのよね(笑)まぁ、これはたいした事が無い証拠だ。いや実際、愚痴りたい事を書き連なると、「なあがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁいお付き合い」の京都銀行のCMの如く、42.195kmは書かないと気がすまなくなるのだが、そこまで文章を書く筆力が私には存在しない。皆無である。

 ので、ここしばらく約半年の仕事の愚痴は私の可愛い、小さな胸の奥底に閉まっておいて、鍵をかけておきましょう。と、少女漫画に出てきそうなハッピーエンドにしようと思う。まぁどこかで何かの弾みで出るかも知れないが、それはその時のことにしておいて欲しい。実際は書きたくてしかたがないのだ。(←おっさん、どっちやねん)

 と言う訳で本題に入る。めでたしめでたし。







 いゃ、ここで終わったら表題はなんだったのかわからなくなるじゃないか。

 そう、久々に京都市内にでばったのさ。自然観察指導員の秘密の集会である。(一部大嘘)で、御所の近所で開催されたので、食事時間にぶらっと御所を散策したのだが、小雨パラつく中、桃やら梅が良い具合に咲いていて、あ~ひさしぶりにゆっくり花がみられてほっこりするなぁ~ どこぞに腰掛けて酒飲めたらべストなのになぁ…(実は朝からビールを飲んでいたのだが、その時点で忘れていた)と、思いながらコンビニで買ったチューハイをポケットに忍ばせて徘徊するアル中神主(糖尿なのに)だったりする。


 その美しい花にまぎれて発見したのが写真。




 映りが悪いが所謂、猛禽類が鳩を捕まえて食っているのら。

 京都のど真ん中でもあるが、緑地でもある事を思い起こさせる一枚ではある。あえて鳩山政権には何も言わない(笑)

 さて、私が自然観察指導員の資格を取った訳は、当社で自然観察会を定期的に開催する事を目的としている。で、めでたく昨年末に作った叩き台をTOPに見せたところ、「やって見ましょう」と言う話になって、その話を数歩進める為にある。

 近いうちに「下見」に各位が来られる。

 神社の業界というのは大昔に所謂「勝ち組」「負け組み」がある程度出来上がっている部分があって、有名神社はほおっておいても参拝客がくる。しかし中には神社とは名ばかりで「祠」と呼ぶほうが相応しい神社があるのも事実。

 当社はその中間の微妙なところにあって、規模から言うと小さくは無い、氏子世帯数も少なくは無い。しかし、神社だけで飯が食えない。その理由は色々あるだろうが何より。神社が氏子さんの役に立てていないのではないか? 氏子さんの求めるサービス(と言えば違和感があるが、他に近い言葉が見つからない:泣)に対応できていないから所謂「氏子さんの神社ばなれ」が起きるのではないか。
 で、今の神社が氏子さんに何が提供できるのか? と考えると「信仰」と言いたいところだが、信仰を強要すると国の憲法に違反する訳で、できないのよね。

 しかし、「環境教育・生涯教育」の拠点として活用してもらうことは可能だと思う。そういう出来ることから始めて、神社のあり方を時代に合わせてゆく事ができれば、ウチのお社も神社だけで食ってゆく事は可能であると考えている。

 ただ、「時代に合わせる」と言っても、所謂バーチャル参拝、エア参拝は(そういう言葉にはやはり違和感を覚えるが、表現の自由は認めるべきだ)などで、終わるのではなく参拝していただいて、心身を浄化した快感を感じてもらって頂きたいと思うのである。そのためには「掃除」しかしそのためには「時間」がいる。そして、神職が境内を掃除して飯が食えるのか? というと、食えないのが田舎神社の悲しいところで、私のように外へ働きに行かないといけなくなる。そうすると、お社がほったらかしになる。

 そういう悪循環に陥って、最終的に後継者不足とあいなる。神職なんて言うと「田舎の名誉職」ではあるが、「名誉」では食えないのが現状。しかし、食えるポテンシャルがあれば、それを追求するのがスジだと思う。

 実際、ウチより田舎で、小さくて、それこそ電車も通っていない地域の神社でも、30年かけてとりあえず神社だけで食えるようになった神社の事例を知っている。 
 いわゆる「できもの」の神様で、「できもの」=「癌」という連鎖思考が働いて、大阪界隈からでも縁日に参拝者が来る。そして縁日に地元の農産物を販売する「市」が立つ。すると、安くて美味しい野菜が「売る側、買う側」にメリットを与えて、参拝客が増加するというプラスのスパイラルがそこに発生した。

 そりゃ、ウチもそういう信仰で集客したいのはヤマヤマだが、急に「馬鹿が治る」とか言い出しても「胡散臭い」だけで逆効果。

 しかし、自然を資源に集客+地元の再発見をする事は「今棲んでいる土地」に誇りを感じてもらえるきっかけにはなりえるはずだ。

 「まちづくり」と言う言葉の定義は、多々あるだろうけれど、私は「今、自分たちが住んでいる土地に誇りを感じてもらう。今、住んでいる土地を愛してもらう。そういう町を作り上げる」そういうことだと思う。

 そして、「自然観察」「生涯学習」を中心に据えると、多くの神社で同じ手法が取り入れられるのではないか。と思う。

 自然観察指導員の資格はあるが、知識は皆無だ(苦笑)しかし、神主の端くれとして、全力を尽くさずに諦める事だけはしたくない。

(おお、不本意ながら、後半シリアスになってしまったぜ)

   


Posted by 淀の生頭  at 21:34日々是発見