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Posted by 京つう運営事務局  at 

2009年04月13日

何も考えない馬鹿がふらふらと京都に来る

 新聞記事を要約すればこうだ、週末に予想された「大渋滞」は起きなかった。逆にフェリーや鉄道の利用者は落ち込んでいる。加えて割引は普通車が対象で、しかも自動料金収受システム(ETC)搭載車に限られるため、トラックなどの営業車両には反映されとぃない。 ETC搭載に関しても、品薄の販売店が続出し、取り付けが間に合わないケースも出でいる。
 国交省が算出した経済効果は2年間で7300億円だが、期待していた効果が出ていない。

 記事では「週末に予想された大渋滞が起きなかった。とあるが、これはきっと「高速道路上」のことなんだろう。集客ができ経済効果が上がったとされる記事も一部地域ではあったようだ。

 しかし、京都市内は桜の季節となって休日は「渋滞地域」と「閑散地域」の差が極端であった。そもそも地方の人は京都の道を甘くみている。お客様の談であるが、ご実家の金沢から京都へ帰ろうと言う段にお兄さんが「車で送ろうか?」という「へっ? なんで」「高速1,000円で安なったし」「そない急に言われても、よう泊めやんよ」「いや、宿なんて贅沢いわんかったら、電話ですぐ取れるやろ」「・・・・・・・・あのねぇ~」と京都の交通事情を坦々と説教したそうな。しかし、よそさんの感覚はこんなものなんだろう。

 私も以前から書いているつもりだが、改めて書く。なんせ、通常の観光シーズンでも東山界隈の方々は、休日に車を出したら最後、まともな時間に自宅へ帰れない。自宅廻りが大渋滞するのだ。嵐山界隈では米屋さんが、通常2時間で廻れる配達が一日でできないと言われる。加えて地元日曜ドライバーですら「右折禁止場所」で右折しようとするし、「一方通り行」を逆走したりしている。地元民ですらこうなのに、他府県からの車がそ~いう運転をしない訳がない。

 宿なんて行楽シーズンにはまともに市内ではとれない。最近は大津や大阪界隈に宿を取って京都は来ることも多いらしい。これって馬鹿なマスコミが煽る部分も多々あるんだろうけれど、煽りに乗る奴も馬鹿だ。先日のTVも何かとあれば、京都、京都で一日が終わって私ゃうんざりしてしまった。馬鹿TVを二つ紹介しよう。

 その壱:着物の女の子がレポーターで、石部小路を歩いてる。街角の壁の足元に小さな鳥居が立っている。「きゃ~~こんなところに鳥居がある~かわいぃ~~~」とはしゃいで足元の小さな鳥居を手をくぐらせて遊んでいる。京都人が見たら「馬鹿」の一言だよね。これは「立ちしょん禁止」の意味なのに。言い方代えればここで立ちしょんする奴がいる可能性が否定できないから、そのような鳥居が置かれているのである。場合によれば、鳥居にかかっていることも????? 推測される。・・・・合掌

 この番組では、その後「だまって座ればうぞうすい」の有名店に舞台が代わるのだが、TVの編集ではすぐ近所に思える編集になっているが、徒歩ではそこそこあるんだよね。大和大路七条らへんのお店だから。

 その弐:「京都の穴場町屋レストラン!」・・・・・・・TVコーナー名でアウトだ。そんなもんTVで紹介したら最後、穴場じゃなくなるじゃん・・・・・・

 こんな調子なんだよね。過日は旭川ナンバーや沖縄ナンバーまで見たので、もうあいた口がふさがらない。昨日は平安神宮前で煙吹いてる神戸ナンバーがいた。わざわざ京都まで車壊しにきた迷惑千万な野郎だ。 只でさえ駐車場渋滞の拠点のひとつなのに・・・・・

 結局この政策は排ガスを過剰に排出させて、浪費を煽っているだけなんだよね。言い方を代えたら、行楽地に排ガスとゴミを過剰に作っているだけなのね。もっと言うと地元住民が生活に支障が出るほどの観光客は要らないんじゃない? 車で来られると駐車場~観光地間しか人は歩かないから、土産物の類は車の数ほど売れないのよね。その駐車場でも車が行列して待ってる。1~2時間は平気でアイドリングするし、渋滞は引き起こすし・・・京都議定書ってCO2の削減をうたったんじゃないの? その京都へCO2をばら撒きにきてどうするの?

 行政が馬鹿で仕方ないなら、民間で頑張らないと・・・・と言いたいところだが、企業は自分の事で手一杯だしね。

 そもそも、日本人が「猫も杓子もお隣さんと、同じでないと~」と言う考え方の根本には「結果の平等主義」という民族のインプリンティングがあると考えていたが、加えて「何も考えない人間」が増えているような気がする。いわゆる「マニュアル人間」の問題なのだが、そのマニュアル人間はそれまでの教育が作ってきたものでしょう。その大元はひょっとすると、明治維新の頃まで遡れるんじゃないかと最近思うようになったのよね。
 
仮説だが、欧米先進国に追いつけ、追い越せの時代はとにかく欧米の技術を学ぶことに始まったのだが、すでに出来上がったモノを学んだ訳だから、すでに体系化されていたわけだ。なので、体系化に至る試行錯誤を体験していないので、出来上がったモノを吸収することは得意だが、何かを立ち上げる、そのために悪戦苦闘する経験が少ないので、自分で考えない習慣がついてしまってているのではないか? 
 観光でもガイド本の類を鵜呑みにして、行列を作る馬鹿が堪えないし、観光地は楽しむけれど、その行程は楽しんでいない観光客は多い。欧米のいわゆるバックパッカーは、町を迷子になるところから楽しんでいるんだよね。これは、先入観が少ないから、街中を発見する楽しみがある。移動効率は悪いかもしれないが、移動そのものが苦痛ではなく楽しみなんだよね。
 行程を楽しむ人と、楽しまない人の違いは、物事を考える習慣がある人と、ない人の違いなのかもしれない。このままだと、日本人の97%が何も考えない馬鹿の国になりさがるんだろうなぁ。政治家が馬鹿、国民が馬鹿そうして馬鹿のスパイラルが加速するのだ。

 あぁ、涙がちょちょぎれるぜ・・・・・・・

  


Posted by 淀の生頭  at 04:20Comments(22)日々是馬鹿