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Posted by 京つう運営事務局  at 

2008年02月04日

我はいかにして神主になりしか(下)

ど~でもいい話なんですけれども・・・・・・

 さて、さて、三部作のオチに入るのだが・・・まじめに神主する事とはど~言うことなのか? かなり頭を悩ませた。なんせ、「宗教で食う」訳だからイメージは良くない。しかし、かかし神社だけで食ってるところも多々あるわけだ。実際、大手有名社寺のお坊さん、神主さんが「学校の先生と兼ねてます」なんて話は聞かない。田舎だから兼ねてるのよね。だったら田舎神社がそれだけで、食うこと=「悪い」というイメージは単なる先入観であったのだが、この先入観を払拭するには時間がかかった。

 これってバブルの時期に、本業をおろそかにして土地に投資して、そっちの収益が上がったから本業をおろそかにしちゃった企業に似ているような気がする。

 実際、田舎の神社だけでも、いゃ言っちゃあ悪いがウチよりも田舎で、それこそ電車も走っていない田舎神社でも、神社だけで食っているお社はある。そういうお社におは遠方からの集客があるのだ。
 神社に「集客」ができるからこそ、地元にも「飲食、お土産など」の経済効果が上がる、地元へ神社がお金を落とすからこそ、地元の人が神社を大事にしてくれる。といった人とお金の循環が生きているからこそ神社だけで飯が食える。
ここでの神社の仕事は、遠方からの参拝客や観光客の接待であってそれ以上ではないが、結果として「まちづくり」の一旦をになっているのである。

 言い換えれば遠方からの集客力をつければ、神社は、規模の大小や田舎やそうであるなしは多少関係はあるので一概には言えないが、「まちづくり」に貢献できれば神社だけで食える。もっと言えば神社の仕事は「まちづくり」であって、御祈祷、お祭りは二の次じゃないか? という気がしてきたのだ。

 神社はいろんな形で、それこそいろんな縁起があって、現在地に鎮座されているのですが、京都市内では有力氏族、国家の祭祀とされる神社から、氏神様の神社、僧兵が担いで暴れて放置したお神輿が、神社として成立していたり、館で祭られていたお稲荷さんだけが残って、館は移転してしまったとか、明治時代に設立された神社も多く、大きな社でも氏子さんが居なかったりする事例は多々ある。つまり氏子さんを持たないお社は意外と多いのだ。それゆえ、神社だけで食えないっていうことはありがちな話で、氏子さんの側でも、自分が何処の氏子に当たるのかわかんなかったりすることも多々あると聞く。

 じゃあそんな神社が考える「神社が貢献できるまちづくりって具体的に何?」っていう話になる。ウチの社の事例を考えれば、現在の氏子世帯数約600世帯。田舎でなくとも神社にしては多いほうなんだよね。
これは文献による大昔は今の氏子地域内に3社神社があったのだが、その3社のお祭りの運営に関して揉め事が起こって人が死ぬ事件があったので、1社にまとめたといった内容が記されている。そういうある意味特殊な事情で、氏子世帯数が多く、兼務社もなく600世帯もの氏子地域があるのだ。

 じゃあ600世帯が年間1万円、ウチの神社にお金を使ってくれたら、ウチの社は年収600万となる。仕入れなどの経費を差っぴいても、なんとか食える数字は確保できるはずなのに、ウチの宮司の前の宮司さんの段階ですでに、副業で食って本業である「まちづくり」を疎かにしてしてしまったので、田舎の名誉職という肩書きだけが形骸化してしまい、その肩書きが名誉ではなく「わずらわしいもの」になってしまったので、23代続いた宮司さんの息子さんは、神主やんぺにしてしまったんだろうと勝手に推測している次第。まぁ気持ちはわかる。

 それじゃあ「神社にできるまちづくり」って何だろう。「観光集客」ちゅうのは、どうあることが理想的なんだろう? タクシードライバーという商売を付けば「四囲のいろんな人」とであって生活臭い話が聞ける、「観光客」とも話が聞ける。「観光を受け入れる側の人」とも話が聞ける。

 まぁ個人的には神社運営というか活性化の手法の方向性は、考えてはいるのだけれど。。。その方向性を検討し、固めて将来、ウチの神社に拘らず、田舎神社の活性化支援をすることを目的として、タクシードライバーなんぞになってみたのでありました。

 これはせめて私の次の世代には、二束の草鞋をはかないで済むように、との思いもある。まだ嫁さんいないけれど・・・・・

柄にもなく真面目な文章書いてしまったけれど・・・・

とりあえずそ~言うわけで。
今回もめでたし、めでたし。
  


Posted by 淀の生頭  at 11:24Comments(0)日々是苦労