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Posted by 京つう運営事務局  at 

2008年01月22日

我はいかにして神職になりしか(上)

ど~でもいい話なんですけれども・・・・・・

 稼ぎ業の話をする前に、「なんで神主がタクシードライバーなのか?」の話をもう少ししておこうと思う。この業界が「食えない業界」であることは既に書いたし、私が以前「お馬鹿な印刷屋」に勤めていたことも既に書いた。

 勿論、「生き残る為」ではあるが、それ+αの悪巧みも多々ある。「その悪巧み」を一つ二つ、「ど~いう視点で京都の街を見ているのか?」を知っておいてもらうと、今後このブログを読んでいただくと感慨深いものになること請け合いであるかもしれない。
 ただ、ウチの社の恥ずかしい部分をさらけ出すことにも繋がる部分も多々あるので、社名もここでは明かさないことにしている(てったって、このハンドルネームで身内はピンとくるんだけれどね。加えて、これから遅かれ早かれ書いてゆく内容から推測すると、何処の誰かはいずれわかるちゅう寸法になっているハズ)
 
 さて、話は長くなるが、この業界は、一応世襲制である。「一応」としたのは「例外もある」からである。私はその例外である。代々地元で23代続いたといわれる神職さんのお宅の跡継ぎさんが「もうやってられへんし、辞める!」と言ったことが事の発端。氏子総代は「えらいこっちゃ~」で次の神職を探す。で、白羽の矢が立ったのは、ウチの親父。当時、私は中3でした。

 ウチの親父は社家(しゃけ:と読む。神職の家をそうよぶ)出身、二つ返事で引き受けるが、当時の私は寝耳にみみずの衝撃でした。なんせ、中学の公民で「わが国は、思想信仰の自由と職業選択の自由」を認めていると習った矢先に、その二つをいきなり侵害されたのだ、「この町は治外法権なのか? 米軍領か?」と思ったが、親に食わせてもらっている手前、逆らえずに受け入れさせられた。

 ちなみに、当時、親父は高校の社会科の教師であった。

 それが、背中を見て「尊敬できる親父」であればここまで反発しなかった。しかしまぁ、社務所に泊まることをその当時から言い訳をつけて嫌がり、嘘でも受験を目前に控えた息子に、社務所宿泊を命じ、自分は家で酒飲んで屁こいて寝るという、言語道断な輩であったがゆえに、反発もあったンだが、反発しても「飯は家で食わないといけない」ので家庭内暴力も起こさず、かなり屈折した思いで思春期を過ごしたンだよ。

 なんせ、自分がやると言った仕事から、先頭切って尻を向ける親父が尊敬できるわけがない。母親は(今でも)平気で嘘をつくので、家族そのものが信用できないにもかかわらず、平和なふりをして一つ屋根の下で暮らすのだから、屈折もするよな。この歳になって「彼女の一人も居ないのは、家族そのものが信用できるものとの認識がないから、だろうなぁ~と自己分析してみたりしている。

 一番、落ち着くのは一人で気の利いた安酒場で、熱燗と刺身を味わう時なんだよね。だから営業所を出たら一人になるこの商売は、向いている側面がないとは言い切れない。

 この屈折が私の原点だったりするのだが加えて、幸か不幸か? 幼少の頃から「いじめられっこ」でもあって、小学生中学年の頃にはすでに、「いじめを笑いでかわす技」を身に着けていたので、曲がり方も尋常ではない明るく、えげつない曲がり方をしていると自負している(当社比)

 さて、この屈折したままおっさんになった、私がタクシードライバー兼神職になったのかは、また次回。まぁタクドラは、次のステップのための踏み台であって、いつまでもタクシードライバーでいるつもりじゃないンだけれどね。
話が長くなったので、その話も踏まえてまた、次回。

とりあえずそ~言うわけで。
今回もめでたし、めでたし。
  


Posted by 淀の生頭  at 10:01Comments(0)日々是苦労