京つう

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Posted by 京つう運営事務局  at 

2011年04月21日

摂社、末社のご祭神

現在、お社の解説書及びWebサイトの更新の為資料を引っかきまわし中。

 地元商工会から摂社、末社の神様についても知りたいとの声もありました。ご祭神とご利益を明確にしてPRしたらというお話。個人的には「神様は処方箋」じゃないので●●に効く神様というPRは好きじゃないかれど、これを機会に「最終的には神様にまつわる記紀神話」まで合せて紹介できるようにしようと思い立ったしだい。

 ここまでは良い。とりあえず暫定的にでも縁起由来の確認のため、お社名とご祭神を照らし合わせる作業をしていたのですが、ありゃりゃなんじゃこりゃ? という話が涌いて出た。ぶくぶく。

 暫定版なのでネット上の百貨辞典を中心に検証したきたのですが、お社の名前とご祭神の関係がしっくりこない。

 たとえば「大神神社」とある摂社のご祭神は当社においては天照大神とされてきた。しかし、大神神社といえば奈良の三輪大社。大物主が祭られているお社。当社は京都~奈良のほぼ中間に鎮座しますので奈良の影響があっても不思議ではない。しかし何故、ご祭神が異なるのか?

 どこかで誤って伝わったのか? それともこれで間違いがないのか? 確認を取りたいのだが、何処の何の資料を当たればいいんだ??  見当がつかない。

 他にも昭和三十一年に作られた当社の案内(当時、当家は神職はしていなかった)には摂社として二歳大明神なる祠の名前のみがあって当時、祠はありませんでした。

 しかし昭和五十年代に志ある方が小祠にて蛙を祀りたい(事情は省略)とのお話があり二歳大明神として祠を復活させた経緯があるのですが、元々何処に鎮座されていた何の神様なのか?
祠の痕跡さえありません。

 ご本殿のご祭神も創建当時は「高皇産霊神」だったのが何時の間にやら「伊邪那岐命 伊邪那美命
菊理媛神」に代わっている。

 何時ごろ何故代わったのか現時点では不明。
 とりあえずは暫定版として現時点でわかっている事を記載しておくつもりですが、追跡調査もしてゆかないと後味が悪い。しかし、どこで何をどう確認してゆけばいいんだ?

 謎は深まる。
  


Posted by 淀の生頭  at 13:15日々是発見

2011年02月24日

氏子総代選挙で見えてきたもの


 3年に一度当社では氏子総代を選挙で改選する。東西南北から各2名ずつ選ばれるのだがこれがそれぞれの集落び温度差があってややこしい。名誉なことだからと感じて熱心にやりたがるのが南部、それ以外はまぁこれも順番だからしかたないな。一期だけのつもりでと言い出すところまで様々。

 それが来年度は計8名のうち6名が辞退を言い出しているので困った話になっている。つまり、経験がある人が2名、新しい人が4名となるとちょいと作業などをするにはバランスが悪い。せめて半分の4名が残ってもらえないと引継ぎやら何やらで、作業効率がよくないのだ。加えて私が建前でも宮司になったところ。これから何やかやと引継ぎをしてゆくところ。加えて氏子地域と神社の関係を強化すべくスカウトの立ち上げなんぞも一緒に考えているから始末が悪い。

 つまり来年度一年は何かとややこしいことになる可能性が高いのだ。

 中には二十一年も総代を務めて下さった方から、一期(三年)で終わりと言われる方まで言われるとその差は何なんだと言いたくなる。確かに高齢者ばかりなので今回辞退される方には他にも体調が良くないとか、何かと一緒に組んだ方が病気になられる、体調を崩されるのでゲンが悪いetcというのは理解できる。もう六~九年勤めて次になりたい人が閊えてるというのは、熱心な地域。困るけれども積極的な気持ありがたい。

  しかし、ここで見えてきたのが田舎神社はいわゆる「共有地の悲劇」のパターンに陥っているンだという気がする。お社の機能は存続してほしいが、みんなその負担を嫌がるのだ。

 以前宮司さんを勤めておられたお宅だって神社だけで食えるのであれば、ヤンペとは言わなかっただろう。外で働いてなお且つ家で働いて、じゃあいつお休みするのって言うお話だ。つまり宮司ですら
「神職で食えない」→「他の仕事をせざるを得ない」→「過労、ストレスが溜りがち」→「自爆」これがタクシーやめた構造。(懺悔は改めて)

 たとえ自爆しなかったとしても、「神職で食えない」→「他の仕事をせざるを得ない」→「過労、ストレスが溜りがち」→「負担となる仕事を辞める」という選択肢は氏子総代にはできても私にはでききない訳で、逃げ出せないから立ち向かうしかない訳なのよ。その分、些少ではあるものの小遣い銭もらってるからね。

 でこの「負担」と言うのがキーワードなのよね。

 氏子総代のして神社の運営に携わってもらうのに、同じ作業なのに「負担」と感じる人と「名誉」と感じる人がいる。

 つまりこの「負担」を「名誉」と感じられるお社にすれば、田舎神社もやり方しだいで氏子さんとの関係を取り戻して地域に貢献できる。地域に貢献できれば地域が活きてくる。

 「負担」とは「名誉」とは具体的に何なのか。その転換法がわかれば、ウチの氏子世帯数からすればなんとかなるはず。


  


Posted by 淀の生頭  at 16:02日々是発見

2011年01月17日

空手道場のご祈祷

昨日は地元のジョギング大会、その後ご祈祷をお願いしますとのことで、地元空手道場からのご依頼。とはいえもう例年の事なのでこちらも、心得て準備万端。寒かろうとドラム缶に火をおこして待機。

 ご祈祷は11:00頃からとのことですが、皆様境内に到着されたのは10:00頃、総勢先生入れて23名程度。つまり小一時間境内で練習。
 ぱっと見で、生徒の最年長で中3ぐらい。子供だらけなのでワイガヤですが、みんなキチンと挨拶できる。元気でかわいい。(当然、女の子もいる)

 お隣さんの娘さん、お子さんが参加してるとのことで、見学。

ご祈祷そのものは約20分。
縁起物と、おさがりを渡す。
絵馬も数枚渡して、今年の抱負を書いてもらう。

やっぱり、格闘技習ってる子は、こっちが恐縮するほど礼儀正しい。
お祭りの祭、大人に挨拶する子供なんぞ皆無だ。

これは大人と子供の関係が、明確になってる事が子供にもわかっているし、大人が厳しく躾けている。そして週に1回程度かもしれないけれど、関係がつながっいてることが原因にあるかと思われる。

お祭りに参加する子供達も、せめてこのレベルまで躾けたいな。
  


Posted by 淀の生頭  at 02:43日々是発見

2010年08月17日

昨日の送り火薪積みボランティア





そ~言う訳で、昨日の送り火も無理をお願いして、送り火の薪積みボランティアの外人部隊として、参加させていただきました。

2時に八神社前集合。そして大文字山へ登る。

道中、キクイムシの被害が多いようで、ビニールをまいた木が痛々しかったが、ぜーぜー言いながらの登山なので、感傷に浸る余裕はあんまりなかった。
それだけ体力が衰えている証拠だ。

到着しておどろいた。
今までと様子が違う。

今まではボーイスカウトと外人部隊が薪と護摩木、水のはいったポリタンクをバケツリレーの要領で大の字の「左ー」の部分から流してゆくのだが、すでに薪は先発隊が作業終了していた。

故に我々外人部隊はポリタンク、護摩木などを手送りして終了。
どうやらボランティアのなり手が多いのか? 
時間差でわらわら上がったり下がったりして、作業を分配しているらしい。

下山して銀閣寺アイスキャンディ(私は冷やし飴を頂いたが、味が濃厚!)そしてニューヨーク(入浴)

でポチポチ歩いて下鴨神社(納涼古本市が終了していた。残念)

そして葵橋西詰の居酒屋で点火時を待つ。

やっぱ自分達が汗水たらして積んだ薪が燃えるのを見ながら、、は飲めないけれど(お店が半地下なので)とは言えないけれど今回初参加の各位も楽しまれたようです。

実は、私は年に一度のこの登山をその年の体力のバロメーターにしておりまして(笑)

初めて参加させて頂いたときは、自転車で一旦木津まで出て、八神社に到着して登山して帰宅というコースだったのが、昨今は自転車で八神社までたどり着く体力もなく、登山用の杖まで用意する始末。

それに比べると、ダンシングチームは下山してから軽くダンスの練習してた。
私なんぞ、ヘロヘロで今日の仕事までバテてひきづってしまっていたのに……

去年から15kg体重落ちてるのになんとなくくやしい。  


Posted by 淀の生頭  at 21:19日々是発見

2010年07月15日

第442回 NACS-J自然観察指導員講習会・開催要項

京都自然観察指導員連絡協議会では、新たな会員を募集しております。
 素人による素人の為の自然観察会を開催しておるのですが、最近は京都市内を中心とした学校からの依頼が増加し、会員の人数が足りないといった事体も発生しております。

 興味のあるかたは是非、ご参加頂きたく思います。




  
主 催: NACS-J(財)日本自然保護協会
NPO法人自然観察指導員京都連絡会
後 援: 京都府、京都市教育委員会


今、日本をはじめ、世界の各地で自然が大きく損なわれ、地球規模の問題へと広がっています。原因は人間活動が行き過ぎたことにあると考えられており、こうした状態を改善するために人間社会が自然のバランスと循環を重視し、自然と共生するように変わっていく必要があります。そのためには、一人一人が自然のしくみについて正しい理解を深め、自然への愛情、畏敬の念を持ちながら、自然に親しみ、自然から学び、ささやかであっても自然を守る行動を自ら進めていくことのできる人を育てていくことが必要です。
自然観察会は、自然の中でさまざまな役割を担う生き物のくらしや自然のしくみ、人と自然のかかわりのすばらしさに気づき、それを分かち合うことによって、自然の大切さや人との関係をもう一度見直していく活動で、自然保護教育(=環境教育)を具体的にすすめるためのひとつの形だと考えられます。
本自然観察指導員講習会では、自然保護の基本的な考え方や自然観察の方法を学び、より多くの人に自然の大切さを伝える役割を担える人を養成し、自然観察からはじまる自然保護の実践者を養成することを目的として実施します。

= 記 =

■1 期 日 および 会 場                                        
2010年9月18日(土)~20日(祝)の3日間  雨天決行
京都御苑・平安会館 〒602-0912 京都市上京区烏丸通上長者町上ル 電話075-432-6181

■2 講師・スタッフ   (敬称略・順不同)   予定                           

NACS-J講師

一寸木肇  大井町立上大井小学校校長/自然観察指導員神奈川連絡会(グリーンタフ)
時田めぐみ 山梨県立白根高等学校教諭/自然観察指導員山梨県連絡会(ノラやまなし)事務局/南アルプス自然クラブ代表/櫛形山ネットワーク
     福田博一  NACS-J教育普及部

地元講師
坂東忠司(植物)(国立大学法人京都教育大学教育学部教授・理学博士・NPO法人自然観察指導員京都連絡会会員・NACS-J自然観察指導員)
NPO法人自然観察指導員京都連絡会会員

観察会講師&スタッフ
NPO法人自然観察指導員京都連絡会会員

事務局
福田博一(NACS-J教育普及部)
西川忠樹(NPO法人自然観察指導委員京都連絡会代表理事)
     
■3 受講対象者  ※すでに登録された者は除く。                                     

(1)満18才以上で、期間中のすべての講習および野外実技を受講できる方
(2)特別な知識、経験、資格は問わないが、自然観察指導員として地域での活動をやっていこうという意欲を持った方

■4 受講の手続き                                       

申込期間  2010年8月9日-8月23日(必着)

(1)メ-ル、FAX、ハガキでお申し込みの方
以下の項目を記載の上、下記宛にお申し込みください。

 郵便番号・住所・氏名・性別・生年月日・職業・所属団体
 電話番号・FAX番号・e-mailアドレス
 日本自然保護協会の会員・非会員の区別、宿泊の有無、有の場合○泊
 受講希望の理由(一言自己PR)

申込み先 〒603-8162 京都市北区小山東大野町15 西川忠樹方 (NPO自然観察指導員京都連絡会)
         
           Fax 075-451-4672  E-mail mikkosan@nifty.com

(2)インターネットでお申し込みの方
   http://www.nacsj.or.jp/sanka/shidoin/seminar_schedule.php にアクセスし、
専用お申し込みフォームに必要事項を記入の上、お申し込みください。
なお、前泊をご希望の方は「参加の動機、活動歴や活動の予定」の初めにご明記ください。
        
?5 参加費用                                          

27,000円(受講料、昼食3回、懇親会費、講習会テキスト代(2冊)、登録料・NACS-J 会費、指導員新規登録料)(予定)
*宿泊を希望の方は1泊朝食付きで8,500円(2泊で17,000円)が別途必要です。
  *前泊をご希望の方は3泊分かかります。

?6 その他                                          

 参加申込者が多数の場合は、事務局において抽選のうえ、決定します。
  受講者が決定し次第、参加の可否等について連絡します。  


Posted by 淀の生頭  at 07:48日々是発見

2010年06月01日

自然観察の新兵器






 ネット通販でめったにモノを買わない私ではありますが、「狼の森」http://www.oinomori.co.jp/なるサイトは時々利用します。(と、いっても二回目でしかないが)

 かって京都にあった「SUTADAY-ROOM」が河原町三条から姿を消したのでこの手のグッズは通販でしか買えないのら。

 何を買ったのか?

 写真を見て欲しい。

 これ「紫陽花の葉」

 そうなのよ。

 デジタルビューアーという「簡易電子顕微鏡」で、PCに接続して対象物を拡大してみる。そうして、写真撮影までできる優れもの。

 プロジェクターに接続すると、小さい細胞がウルトラマンレベルで巨大化するんじゃないかと思うしだいである。

 で、当社で企画している自然観察会、なかなか進展してないんじゃないかと思われていると、思う。

 まぁ、ある程度は仕方ないんだよ。

 なんせ自然観察指導員の方々は普段は一市民、一会社員として勤めている。月に一度自然観察会を開催するが、二週間前にはコースの下見をする。
 すると、日曜しか休めない仕事に就いていると、これで休日半分潰れる。他の休日は、やっぱそれなりに色々と家庭仕事入るでしょう。

 そしたら、休日ぜんぜん無いわけでね。

 そりゃあ~私も一応は指導員の資格をもってはいるけれど、まだまだ「にわか」の領域を出ない。(神主もそうだが:苦笑)

 なんせ、境内の植物すら全て名前を言えないでいる(けど、小さいながらにも山一つあるんだから、解ればいろんな意味ですごいと思うぞ)

 まぁ、それなりに対応方はあると思うが……
 とにもかくにも、最悪の場合、私一人が指導員で、多くの人を、しかも幅広い年代を対象として、開催せざる得ない場合、ど~するのか???

 謎は深まるばかりだが……まぁ、シュミレーションしてみましょう。

 なんで私がこういう活動に力を入れるかと言いますと、神社の仕事は伝統を守るだけではないと思ふのです。
確かにそれは大事な仕事ではありますが、社会が求めているサービスを提供できないとやはり氏子さんは離れてゆく。
今のご時世、環境問題に関心がもたれているのであれば、自然が豊富な鎮守の森を感じてもらう。神社を環境教育の場として活用してもらう事で、地域に貢献してゆこう。それが今の神社にできる数少ない地域貢献ではないかと思う次第。

ぼやく暇がありぁ、時間はかかっても確実な一歩をね。  


Posted by 淀の生頭  at 03:22日々是発見

2010年05月16日

たまごの話

 所謂「宅配屋」になって驚いた事がある。

「たまご」が通販されているのである。ドライバーにとっては爆弾と大差ない危険物である。

 そう爆発したら一大事だからね。大体、私ゃ田舎者なのでたまごは近所の養鶏所でキロ単位で買っていた。実際今もそうしている。

 だからスーパーでパック売りされている姿を始めて見たときにはチビッと感動すら覚えた。

 オヤジが神主初めてしばらくした頃にも「たまご」にまつわるカルチャーショックを受けたことがある。当時、御祈祷料は氏子さんの「お志で結構です」としておった。これは気持ちの問題だし、何より金額を指したら「それより上」の数字が入ってこないというセコイ算段もあったらしい

 で、某家で「地鎮祭」の御祈祷を受けました。当時は前日に忌竹の用意も神社側(最近は施工主がしてくれる。材料屋に注文すれば揃えてくれる店があるらしい)で用意していた。つまり準備期間も踏まえて二日かかっていたのだ。日当一万と考えて、材料費やら準備やら揃えて二日で二万円でトントンかなぁと、サラリーマンなら考えるだろう)

 で、そのお宅の地鎮祭が無事終わって「些少ですがお納めください」といわれて頂いたのが「たまご一パックのみ」だ。

 悪気はないんですよ。(上記の養鶏所じゃないよ念為)昔はたまごは貴重品で、病気の時とかお祝いの時とかにしか口にできなかった栄養価の高いものであったなごりが残る時代でもあったんです。
 
 実際、我が家でも幼少時には裏庭には二羽以上の鶏がいた。小学校低学年の頃は所謂「夜店でつってきた奴」で大人になってと早朝から起こしてくれた。融通の利かない目覚まし時計みたいなもんだ。私もチビッとだけ記憶があるが、保育園ぐらいの頃だろうか、自宅で鶏をサバいて、鳥スキにした記憶がうっすらとある。実際、姉は幼少の頃、母に「この鳥の羽をむしる」ように言いつけられ、面白がってむしった夜の食卓に、その鳥がでて数年間、鳥が食べられなくなったらしい。

 たまごの話に戻ろう。通販で買うたまごと、そのへんのスーパーで売ってるたまごとどう違うのか? 
 すんげー素朴な疑問である。道中で「割れる可能性」まぁ、これはスーパーでパックを買って帰る訳だが、移動距離が全然違うよな。しかも何らかの形で送料がかかってくる。

 いっちゃあ何だが、ウチじゃ養鶏所まで徒歩3分だ。いつも形の悪いモノをおまけにくれるぞ。
 いつもキロ単位で買うから、数なんか数えた事が無い(笑)

 高級なたまごを遠方から宅配で頼んで買うのが贅沢なのか?
 地元で新鮮なものを、顔が見える関係で買うのが贅沢なのか?

 こうして考えると、意外なことに私ゃ贅沢な生活してるなぁ。と思うよ。
 となりの芝生ならぬ遠方のたまごが美味しく思えるご時世なのかねぇ……

蛇足だが、本日この養鶏所のオヤジさんの米寿の御祈祷である。
ブログ書いてないでさっさと、祝詞書かなきゃ……  


Posted by 淀の生頭  at 09:51日々是発見

2010年05月03日

内緒で母に感謝する









  母というより両親にはかなり屈折した思いがあった。

今も少し残っている。

しかし、それは多分、大酒飲みの飲みそこねた最後の一滴のような残量だ。

かなりの量をどこぞの大酒飲みが飲み乾してくれたようだ……。酒がまったく呑めない私にとっては、感謝感激雨霰である(一部、大嘘あり@笑)

 事の起こりは私が中3の年、地元の23代続いたと言われる宮司さんのお宅が「もう神職は継がない」と宣言したことに始まる。ウチの親父が亀岡NO2といわれる神社の出身なので、後継者としてその白羽の矢が当たったのだ。

 いきなり、将来神主さんになってしまった私がそこにいた。
 子供心に嫌だったんだよ。

 なんせ公民の授業で「思想信仰の自由、職業選択の自由」を習った矢先にその両方の自由を制約されてしまったのだ。

 だからどうして神職を継がないようにしようかと、思い悩んでいた時期が長かった。その間ず~っとグレてはいなかったけれど、心は不安定であった。なんせ頼りにするべき家族が有る意味「敵」な訳だから家族にも心を開けない。しかし良好な関係は保たないといけない。

 こうして典型的な京都人みたく「ニコニコしているけれど、ハラワタで考えている事は表に出さない。当然、家族にも」というものの考え方が染み付いてしまって……色々と鬱憤が溜まったんだと思うわ。

 そんな奴が宮司になるまで「気持ちが転んだ理由」はいくらかあるが、今回の話の主題から大きくずれるのでここでは割愛。そんな親に対する思いが、最近大きく変わってきている自分に気づいたのよ。

 特に母親に対して。父親は相変わらず駄目親父だよ。
 大槻ケンジに謳われる以上に駄目人間だと思う。

 しかし、かかし、母親は……よく働くんだよ。

 七十過ぎてやれ神社の裏方、田畑の世話、猫の世話、家族の世話。近所づきあいetc。

 私がいい年こいて仕事で困った時も、とにかく飯と酒はある。

 愚痴は言わない、励ましてくれる。

 ありがたいことである。


 そのことに感謝することすらできないほど、屈折した時期も確かにあった。

 しかし、最近ホント良く働く偉いなぁ。と、思えるようになったのよ。 歳とっても笑顔絶やさず働く姿は、偉いなぁと思う。

 そういう後姿を垣間見ることも、チラホラあったせいかなのか?

 もっと仕事と時間に融通を利かせて、家の事、神社の事に時間を取れるようにしたいと考えて、それなりに全力で動いたつもりなのに、なぜか現在、その逆の環境にいる自分がいる(苦笑)。

 基本的に土地家屋敷全部私に廻すつもりでいるのよね、両親は。

 けど、今の環境だと私には宝の持ち腐れになってしまう。

 最悪の場合、売却という考えも頭をよぎるが、こういう資産は後世の血縁から借りているモノなので個人的には処分はしたくない。

 そう考えている自分を見つけたせいなのかなぁ?? 

 母親が元気でいる間は、もっと頑張らないとね。
 と、思うようになった自分がココにいるわけなのよ。

 不思議なもんだわ。大学出て、仕事で東京に出たときは、二度と家に戻らないつもりが一割程度はあった自分が……今、一番大事に思うものが家族とお社なんだもんなぁ。

 高校時代なんてまともに家族と会話したつもりなんてなかったのに、今じゃ朝晩親の顔を見ておかないと不安になってしまう。

 歳のせいだろうか(苦笑)


 写真は昨年末にご近所さんが撮った働く母。

 撮影した方曰く、こんな風景はもう見られないと思って、撮影させてくださいと頼んだそうな。

 いつのまにか、この人の息子である事を誇りに思う私がいる
  


Posted by 淀の生頭  at 22:18日々是発見

2010年03月28日

鎮守の杜の自然観察会(準備中)



本日は朝から「お宮参り」。
 境内の表参道に隣接する公園では、咲き始めた桜が、ちらほらしているものの風が強いせいか、まだ少し肌寒い。

 休日が休日にならないのが、草鞋を二束履いているものの性ではるが、まぁこれも跡継ぎができるまでの辛抱と、我慢するしかないと昨今悟る。がぁ……いつになったら跡継ぎできるんだ、四十五歳で独身で、彼女もいないのに……

 その手の愚痴はともかく、本題に入る。

 実は本日はNPO京都自然観察指導員京都連絡会http://www.noi-kyoto.com/が山城町で一般の方を踏まえての自然観察会を開催した後、数名が当社に立ち寄って当社での自然観察会を開催するにあたっての下見に来られました。

 ちらほら咲いてる桜の下で、地元の有志が酒盛りしているのを尻目に(笑)こられた一同を簡単に境内を案内して廻る。

 表参道をあがって、最初の言葉が「深い森だねぇ」でした。
 仕事であがったりさがったりする身にとって、その言葉は以外ではありましたが、街中の人にとってはそう感じるのでしょう。

 絵馬堂横から杜へ入るコースを経て、本殿の背中の山を登って、末社であるお稲荷さんの横へ出るコースを経て、うら参道とくるっと一周、簡単に小一時間ほど案内しました。

 これほどの椎、樫の杜はあまり知らないと、理事長を唸らせたのでいtかなり良い状態で鎮守の杜が保存されているのかと思われます。
 ほか、足元にチラホラとキノコの姿があって観察会の会場としては申し分ないとのこと。他にも色々と検討要因はあるものの、とりあえず第一関門は通過したようです。

 今後、自然観察指導員の方々(私もそうだが)とどのような形で集客するか、どのような人を対象にするか、どう集客するか? といった検討を重ねてできれば年4回、理想を言えば月に1回、自然観察会を開催して鎮守の杜への理解、お社を誇りに感じてもらい、今住んでる土地を愛せる人を増やしたいと思います。

 とりあえず、本日はそのための最初の一歩。ほんの数cmではありますが、重たい大事な一歩を踏み出せました。

 早速、私もお正月明けに漬けた檸檬焼酎&柚子焼酎で祝杯であります。

 写真は、鎮守の杜を見上げた。見る人が見ると「スンゲー」写真なのだが、わかるかな?
  


Posted by 淀の生頭  at 18:40日々是発見

2010年03月07日

御所でゴソゴソ


 気がついたら一ヶ月ほど書けなかった。何かと多忙なのだ。まずは、DMで励ましのお便りくださった方。ありがとうございます。ちゃっちゃとお返事したかったのですが、帰宅した時点で脳味噌が腐ってしまって、文章が書けなくなってます。朝なら大丈夫なのですが、まぁ何かとバタつく事が多くてお返事できませんでした。陳謝です。ブログに書き込みできなくしたんです。未だにエロサイトの案内する馬鹿がいるので……
 嘘でも神主のブログでエロ宣伝したらまずでしょう。そりゃ、男だから嫌いじゃないけど、それって所詮「画像」でしかないじゃん。欲情の対象にならないのよ私の場合。この先は危なくなるので書くのは止すけどさぁ……

 で、ここのブログでは基本的に私がどこの誰かを隠して、愚痴るのが基本だったんだけれど……愚痴りたい事は実際たくさんあるんだけれど……書く暇がなかったら、気がついたら忘れてるのよね(笑)まぁ、これはたいした事が無い証拠だ。いや実際、愚痴りたい事を書き連なると、「なあがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁいお付き合い」の京都銀行のCMの如く、42.195kmは書かないと気がすまなくなるのだが、そこまで文章を書く筆力が私には存在しない。皆無である。

 ので、ここしばらく約半年の仕事の愚痴は私の可愛い、小さな胸の奥底に閉まっておいて、鍵をかけておきましょう。と、少女漫画に出てきそうなハッピーエンドにしようと思う。まぁどこかで何かの弾みで出るかも知れないが、それはその時のことにしておいて欲しい。実際は書きたくてしかたがないのだ。(←おっさん、どっちやねん)

 と言う訳で本題に入る。めでたしめでたし。







 いゃ、ここで終わったら表題はなんだったのかわからなくなるじゃないか。

 そう、久々に京都市内にでばったのさ。自然観察指導員の秘密の集会である。(一部大嘘)で、御所の近所で開催されたので、食事時間にぶらっと御所を散策したのだが、小雨パラつく中、桃やら梅が良い具合に咲いていて、あ~ひさしぶりにゆっくり花がみられてほっこりするなぁ~ どこぞに腰掛けて酒飲めたらべストなのになぁ…(実は朝からビールを飲んでいたのだが、その時点で忘れていた)と、思いながらコンビニで買ったチューハイをポケットに忍ばせて徘徊するアル中神主(糖尿なのに)だったりする。


 その美しい花にまぎれて発見したのが写真。




 映りが悪いが所謂、猛禽類が鳩を捕まえて食っているのら。

 京都のど真ん中でもあるが、緑地でもある事を思い起こさせる一枚ではある。あえて鳩山政権には何も言わない(笑)

 さて、私が自然観察指導員の資格を取った訳は、当社で自然観察会を定期的に開催する事を目的としている。で、めでたく昨年末に作った叩き台をTOPに見せたところ、「やって見ましょう」と言う話になって、その話を数歩進める為にある。

 近いうちに「下見」に各位が来られる。

 神社の業界というのは大昔に所謂「勝ち組」「負け組み」がある程度出来上がっている部分があって、有名神社はほおっておいても参拝客がくる。しかし中には神社とは名ばかりで「祠」と呼ぶほうが相応しい神社があるのも事実。

 当社はその中間の微妙なところにあって、規模から言うと小さくは無い、氏子世帯数も少なくは無い。しかし、神社だけで飯が食えない。その理由は色々あるだろうが何より。神社が氏子さんの役に立てていないのではないか? 氏子さんの求めるサービス(と言えば違和感があるが、他に近い言葉が見つからない:泣)に対応できていないから所謂「氏子さんの神社ばなれ」が起きるのではないか。
 で、今の神社が氏子さんに何が提供できるのか? と考えると「信仰」と言いたいところだが、信仰を強要すると国の憲法に違反する訳で、できないのよね。

 しかし、「環境教育・生涯教育」の拠点として活用してもらうことは可能だと思う。そういう出来ることから始めて、神社のあり方を時代に合わせてゆく事ができれば、ウチのお社も神社だけで食ってゆく事は可能であると考えている。

 ただ、「時代に合わせる」と言っても、所謂バーチャル参拝、エア参拝は(そういう言葉にはやはり違和感を覚えるが、表現の自由は認めるべきだ)などで、終わるのではなく参拝していただいて、心身を浄化した快感を感じてもらって頂きたいと思うのである。そのためには「掃除」しかしそのためには「時間」がいる。そして、神職が境内を掃除して飯が食えるのか? というと、食えないのが田舎神社の悲しいところで、私のように外へ働きに行かないといけなくなる。そうすると、お社がほったらかしになる。

 そういう悪循環に陥って、最終的に後継者不足とあいなる。神職なんて言うと「田舎の名誉職」ではあるが、「名誉」では食えないのが現状。しかし、食えるポテンシャルがあれば、それを追求するのがスジだと思う。

 実際、ウチより田舎で、小さくて、それこそ電車も通っていない地域の神社でも、30年かけてとりあえず神社だけで食えるようになった神社の事例を知っている。 
 いわゆる「できもの」の神様で、「できもの」=「癌」という連鎖思考が働いて、大阪界隈からでも縁日に参拝者が来る。そして縁日に地元の農産物を販売する「市」が立つ。すると、安くて美味しい野菜が「売る側、買う側」にメリットを与えて、参拝客が増加するというプラスのスパイラルがそこに発生した。

 そりゃ、ウチもそういう信仰で集客したいのはヤマヤマだが、急に「馬鹿が治る」とか言い出しても「胡散臭い」だけで逆効果。

 しかし、自然を資源に集客+地元の再発見をする事は「今棲んでいる土地」に誇りを感じてもらえるきっかけにはなりえるはずだ。

 「まちづくり」と言う言葉の定義は、多々あるだろうけれど、私は「今、自分たちが住んでいる土地に誇りを感じてもらう。今、住んでいる土地を愛してもらう。そういう町を作り上げる」そういうことだと思う。

 そして、「自然観察」「生涯学習」を中心に据えると、多くの神社で同じ手法が取り入れられるのではないか。と思う。

 自然観察指導員の資格はあるが、知識は皆無だ(苦笑)しかし、神主の端くれとして、全力を尽くさずに諦める事だけはしたくない。

(おお、不本意ながら、後半シリアスになってしまったぜ)

   


Posted by 淀の生頭  at 21:34日々是発見

2010年02月04日

気分はストーカー

 昨日、めでたく節分祭も無事終了し年始の行事もあとは祈年祭を残すのみ。今回はワタシは仕事とあいなるので名誉宮司さんにお任せなのでワタシの年始は事実上終了。明日から新しい職場が待っていてくれることもあって、めでたい限りである。

 さて、節分祭では年末年始に悩殺所、もとい納札所に集められたお札、お守りなどを護摩木と一緒に御焚き上げするのだが、この火床を作る作業がなんていうのかナァ…… 他人のゴミ袋をあさる類のストーカーに近い気がしてならんのよ。ストー神主とでも呼んでもらおうか?

 そりゃ、一年の勤めを終えた神札、お守り、古くなった神棚の類があるのは当然、近隣の有名社寺のものが混じるのはご愛嬌。しかしねぇペットボトルは如何なものかねぇ??

 ゴミ箱じゃないんです。あくまでも役目を終えたお札さん(神様の依代)に集って頂く場所なのである。そ~いう勘違いが田舎にも進出してきたようだ。中には大輪神社からのDMまで捨てられている。

 中にお札がはいっているとは思えないのだが、わざわざお隣の城陽市から捨てに来ている人がいる。封が空いてないからここで住所氏名オープンにできるんだよ? まぁ大人気ないからそこまでしないけどさぁ。(池田さん、あんただよ)DMなんだからぁ、普通にゴミ箱でいいと思うんだけれど、何故そよのような無駄な(ついでがあったのかもしれないが)労力を使うのか? ワタシには理解できない。

 なんか、ため息というか、なんというか、そういうのを垣間見るとどっと疲れてしまうワタシがいるのよね。

 これが若い娘さんの……なら、嬉しいかと問われるが、コレを書き出したら話が脱線してしまうのでここでは一言「いらんわい!」と書いておく。私も男なので助平であることは認めるが「節度ある助平である」と、宣言させて頂く次第である。


 しかし、今年一番のけぞったのはキリスト教の所謂「カルト」? である「清めの道」ちゅう所の讃美歌集が、しかもご丁寧にも、1集と2集が併せて捨てられているのだ。

 お寺さんのお札なら、神仏習合の歴史も長いのだから理解できなくはない。しかし、言うに事欠いてカルトキリシタンの賛美歌だぜ、それを何故、田舎神社に???
 まぁどっちも「神様」とはいうんだけれど、どこかで巨大な勘違いされてないかい??? 理解が乏しいから神社なのか? まぁキリストの墓と言われる場所で祝詞が奏上されるご時世だから、大目に見て……笑わせていただきました。はい。

 面白そうなので資料としてお預かりすることにした(笑)

 次回はもっとカルトな資料をお待ちしております。  


Posted by 淀の生頭  at 19:30日々是発見

2009年12月18日

冬の境内

紅葉もあっという間に散ってしい、境内の華やかさがなくなりました。しかし、静かな境内はまたそれなりに風情があるもので、熱燗なんぞを用意して夜空を見上げるのも悪くはないもんです。
 流れ星は見なかったけれど、凛として冴え月明かりの下で建前でも来年は宮司になるので、あ~したい、こ~したい。その為に人間関係がどうとか、お金がこいとか、気がつけばそんな事を考えてしまう。と、いうか、そ~言う事を考える為に寒い月夜に「月下独酌」するわけです。
 とにもかくにも「神職は神社に奉仕するから神職である」それを出来るところから始めて、どう完成させるのか。やりたいこと、やらないといけないこと、てんこもり。
 けど、人の心の奥は神様と繋がっているので、きっと大丈夫。自分を信じる事は神様を信じる事。何度も何度も、自分にそう言い聞かせる夜でした。
 写真は日中だけど…… 



  


Posted by 淀の生頭  at 08:53Comments(0)日々是発見

2009年10月05日

あさあるく



 仕事を再開したら、夜歩けなくなった。帰宅時間は21:00頃。朝がゆっくりできるのだから、歩けば良いのだがそうは問屋が卸してくれない。バタンキュー状態なのだ。これは困った。そもそもVS糖尿をきっかけに歩き始めて、気がつけば「自転車」に乗れなくとも歩いておけば脚力が少なくとも温存できる事に気づき、急に自転車に乗っても不自由しない事に気づいたから歩くのが楽しくなってきたのだ。

 一時は「世界一怖い乗り物」と恐れていた「体重計」も毎朝乗るのが楽しくなってきた。針(とは言わないが)がブレつつも少しずつ確実に低いメモリの方へ傾きつつあるのら。

 そういう時期に折角できた習慣を潰すと、以前の二の舞を踏む事になる。幸いにも酒を飲まなくなったので、目覚めはさわやかである。

 で、今朝も早速毎晩のプログラムをこなしてきた。先ずはスチレッチとダンベル体操を併せて約10分。足に3kg×左右+手に2kg×左右でお社まで少し遠回りして歩いて約15分。参拝して縄跳び500回。帰宅して軽くクールダウン。併せて1時間程度。

 おかげで今朝はか身体だけではなく、なんとなく心も軽い。朝に何かと「考える事」ができるのも嬉しい。なんせ朝5:30出庫していた頃は、多少帰宅が早くとももう頭も身体も動かない状態。そういう生活から比べると心身に快適っであることは間違いない。

 ただ問題なのは「思ったより稼ぎが良くない」ことだ。まぁ慣れの問題もあるので、最初は気にしないでいきましょう。何よりも来年からはウチの境内で自然観察会なんぞも開催してゆきたいし、そ~言う悪巧みの為にも時間が作れるのは嬉しい。

 なんせ来年は建前でも宮司だ。嫌がられるかもしれないが肩書きは存分に活用させていただこう(笑)

 そうそう、写真は今頃咲いた朝顔、確かコレは沖縄に咲く一年草ではない種類だったはず。ウチの家では今始めて咲きました。ご近所でも咲いてるお家あります。しかし、強いよなぁ~もう秋だぜ。  


Posted by 淀の生頭  at 07:34Comments(0)日々是発見

2009年09月17日

秋の実りはじめ

 景気の悪い話ばっかりしていられない(笑)

 昨日研修ついでに糖尿本なんぞ購入して帰宅。とにかく生活のチェックリスト(カロリーとか運動したか、とか)作らないとね~なんて思いつつ、今まで悩んで何にもできない(笑)

 気晴らしにお茶を入れるべく母屋へ。
 何気なく裏庭を見たら、おお! 今年初めての栗が足元に転がっている。

 私が生まれる前から生えている、栗の木が今年もイガモノを落とし始めたのだ。

 大抵はご飯に入れるだけなのだが、今回はゆでるか焼くかに挑戦しよう。  


Posted by 淀の生頭  at 10:53Comments(1)日々是発見

2009年08月15日

でかいぞ野菜!



写真は、過日の畑での収穫である。

 奥のでかいのは、私の頭以上にでかい「とうがん」らしい。

 そしてもう一つ手前は「鹿ケ谷かぼちゃ」らしい。

 あとは、みたまんま。

 この炎天下に畑が元気なのはうらしいのだが、こんなでかいもの、どうやって食う??
  


Posted by 淀の生頭  at 06:20Comments(1)日々是発見

2009年07月27日

セミの幼虫

  昨日、地鎮祭をするので装束の類を取りに境内へあがった。するとクラリネット? かな? その手の楽器に疎いというは音楽そのものに疎いのでよくわからないが、練習してるおじさんがいてね。
 少なくても下手ではない調子で、「練習させてもろてます」といわはるので「ど~ぞ」と声をかえす。

 社務所でゴソゴソしていると雨が降り出して、おじさんは帰宅。
 次の稼ぎは休日がいくばくか増えそうなので、神主の嗜みとして楽の一つぐらい習いたいナァなんて思いもして、まぁとにかく仕事のリズムができてからということで、もうしばし保留してからの検討とあいなる。

 で、神様にご挨拶して下りようと思ったときに、セミの幼虫が足元をあるいているのを発見。これから羽化するのなら是非、その姿をみさせていただこうと思いしばらく様子を見ていた。

 歩く速度は意外と速い、しかし下手。落ち葉の類に足を取られて転ぶこと数回、それでもヨチヨチと頑張って歩く。どの木に登ろうかという意図はあまり見えない。携帯で撮影しようと正面に陣取れば、コースを代えるなどアクションはあるが、人間を敵と見なしてるようには見えない。

 進行方向に溝があるので、進行方向をまっすぐ行けば渡れるように木の枝で橋を作ってやったが、それに気づかず溝に落ちた……

 木の枝を差し出して救ってやる。そして楓の木の根元においてやるとエッチらホッチラ登りだした。しかし地べたを歩くのに比べてかなり遅い。
前足で足場がちゃんとしているかどうか確認しながらのらりくらり登るのだ。

 正直、私ゃ見るのに飽きてきて、境内を軽く一周してキノコの類を探したら……結構あった。というかセミの幼虫を置いた楓の足元も枯葉を何か「菌」の類が分解してるのか? よくわからないが雨でぬれた以上の「ぬめり感?」のようなものがあった。

 一週廻って、羽化はまだかとセミの幼虫を見直したら、木を登るのは辞めたように見えた。が、ここまでで発見してから約1時間。しばらく眺めてみたが「蚊」と「蜂」がやかましい、周りはドンドン暗くなる。

 とにかく蚊がすごいので、今回の羽化の観察は断念。次回は「蚊取り線香」もしくは「虫除けスプレー」持参で望むことにする。
  


Posted by 淀の生頭  at 14:52Comments(0)日々是発見

2009年06月27日

京田辺、交野、枚方ぐるりんぱ



 そういうわけで、京都自転車マップ郊外版南部辺、担当第二の試走コース無事完走!

 もう、ホント膝に笑われっぱなしで洒落にならんわ。
 まぁ、鈍ってしまった私が悪いンだけどさぁ……

 コースは、JR大住駅を起点に隼人舞発祥の地とされる月読神社、一休寺、棚倉彦神社ここは「づいき神輿」がある。同志社の脇をかすめて酒解神社、観音寺(国宝十一面観音像あり)そこから朱智神社、笠上神社、須賀神社をへて生駒へ入る。 
 重要文化財の高山神社(生駒)から磐船神社(交野)星田妙見宮、星田神社、天田神社、機物神社(枚方)源氏の瀧、王仁公園とその南北の天満宮&菅原神社、天神社(ここで再度京田辺に入る)


 ご近所なのに始めて中まで入ったのは一休寺と、観音寺。一休寺は予約すれば食事ができるのが、嬉しい。般若湯があればなおよろしなのだが、そういうわけにはいかないらしい。

 

 なんか今回のライドは「巨石」が多かったナァ。
 磐船神社は「天の岩船」だし、星田妙見宮は「磐蔵」だし、源氏の瀧にも巨石がいたし、「夜泣き石」までいた。

 赤ちゃん夜泣きで困ったな~ならぬ「大石 夜泣きで困ったな~」である。

 そうそう、今回のライドは「野生の大国」でもあった。

 過日の笠上神社の石段を登ったら、雉のツガイ(らしい)二羽がバタバタと飛んで行ったし、今日最後の「天神社」では野生のリスがいた。

 そりゃ~ウチの界隈も野生の猿がでるけれどさぁ……
  


Posted by 淀の生頭  at 08:03Comments(0)日々是発見

2009年06月13日

自転車マップ「木津~山科」一応完走!



一部コースアウトしてしまったところもあるし、時間的な都合上訪問をやんぺにした所もあるが、昨日一応完走できましたパチパチ。

 勿体無いといえばそうかもしれないが、これだけの距離を走るのは久々なので充実感はある。山科の疎水界隈は飛ばしてしまったが、別コースで紹介する予定のようなので、まぁよしとする。宮道神社は今まで数回立ち寄りしたのでこちらもよしとする。
 しかし、上醍醐と岩屋神社の奥の院は残念だし、毘沙門寺も目と鼻のえ先まで来ていて参拝できていなかったのが悔しいが、また別の機会に行くとしよう。

 今回は今まであまり興味がなかったお寺さんもなるべく参拝するように心がけて、いくらか見えて来たものがある。まず、寺院建築って「伽藍配置」ちゅのを真っ先に習った覚えがあるけれど、事実上そんな型どおりの配置になってるお寺なんてないのよね。場所によっては本堂のみなんていう所もあるし、塔がない所も多々ある。今回廻ったお寺で簡単に分類すると、

 大きく分けて「住居型」=住居の部屋に仏さんを祀り、各部屋を回廊などで繋いである=一休寺、随身院など
 「点在型」=各建築物が点在しており回廊などで繋がれていない=醍醐寺、勧修寺など

  となる。また仏像=修行中であり「瞑想」しているのであって庶民の代わりに? 代表して? 修行をして悟りに導こうとしている姿なのかなぁ? と、色々と思う事多々あり。それなりに心の収穫ではあった。

 山科界隈はちぃと距離があるので、自転車ではなかなか足が向かないが「稲荷」が多い印象がある。まぁ稲荷山の東側だしねぇ。
 また、牛尾山と清水寺との関係が気になる。牛尾山は「清水奥の院」と言い張っているが、清水寺の資料は今手元のモノに関してはそのような事は書かれていない。しかしどちらも「音羽山」なんだよね。
 
 写真は山科の「山の神」こういう行事が残っているのは、嬉しい!  


Posted by 淀の生頭  at 13:08Comments(0)日々是発見

2009年06月11日

初めての一休寺

次の稼ぎは7月末から開始の予定。だが、事務所曰く「職安には顔出しといたら、なんちゃらいうお金がはいるかもよ~」ということで昨日は職安出頭日。

 それまでに京田辺~打田~交野~王仁公園をめぐる「七夕伝承コース改」をちょっとだけでも廻る段取りを入れる。

 コースは、JR大住駅~月読神社~車塚古墳~天津神社~薪神社~一休寺~棚倉彦神社まで。小雨が降っているもの、これから梅雨だしもっとジャジャぶりするよりはマシ! との判断で10時過ぎに出立。

 今回、一番期待していたのが一休寺

 なんせ、ご近所で一番有名な場所なのに、44年間この界隈に住んでいて初めての参拝。そんなに広いお庭ではないけれど、小奇麗にされており、堂内で善哉(これは年末年始にPRされてますな)やコーヒーが頂ける他、前日までに予約をすればお弁当が頂けるのは、価値あるんじゃないかい?

 弁当は1800~4800円だが、料亭の弁当の事を思うと同じようなモノでしょう。きれいなお庭を眺めつつ、ゆっくり昼食するのはささやかな贅沢でせう。しかも今の季節、ホトンド人がいない(笑)。酒飲みとしては般若湯でも頂きつつお庭と禅問答と洒落込みたいのが本音だが、虎になると顰蹙なので般若湯はなし。

 ちなみに、私ゃ駐車場隣の食堂でウドン一杯で済ませました。

しかし、資料の為とは言えこういう所で写真をカシャカシャするのは、やっぱ野暮だね。自分でやっててそう思うわ。

 しかも今回は「出頭時間」が決まっているので、近場の6箇所を心持駆け足で廻ったせいか忙しない。やっぱお庭の類はのぉ~んびり、ゆ~ったり鑑賞してその価値があるのだろうなぁ。観光客が少なかったので、なおさらのんびりできなかったのが悔やまれる。次回はせめて善哉など頂こう。

 やっぱり私は自転車はポタリングが楽しい。物見遊山で感動する心を忘れた、お馬鹿な観光客にまみれるよりも、地元の素朴な社寺で草木を愛でる方が性にあう。
  


Posted by 淀の生頭  at 05:50Comments(0)日々是発見

2009年06月09日

毎月八日は布袋さん~やっぱり京都は狭いのらぁ~

そういうわけで、実は、次の稼ぎをするまでに、ちょいと自転車で走らないといけないことになっている。

 京都自転車マップの改定版作成の為、三コースを試走することになっているのだが、現在木津~山科コースを試走中。しかし普通にぴゅっ~と走るなら1日でなんとかなるが、あちこち立ち寄りながらの試走なので、なにかと手間がかかる。
 ここまでのあらすじとしては、木津駅から三室戸寺まで二日かけて走った。道中あちこち寄りまくりなので、城陽~三室戸寺間で一日かかる。いゃ、宇治橋商店街から三室戸寺まで、訪問箇所をショートカットしても、平等院、宇治神社、宇治上神社、興聖寺と訪問してるとあっと言う間に2~3時間はかかる。その辺を無視して走れば20分もかからないのに~だ(笑)

 ンで、昨日は、三室戸寺から北行する。この時点ですでに11時前。まぁ朝から役場へ行ったりなにやかにやしてるとこんな時間になってしまった。京滋バイパスの手前から狭道を西にとって、回りこむかたちで厳島神社へ。

 ここのお社は、初参拝。山の南側に鎮座する宇治市の文化財指定のお社。五軒流造り。五軒というサイズはちょっとめずらしいんじゃないかい?

 説明板にQRコードがついてあったたりする。なるほど、ウチの社には駒札の類がないので、ふらっと参拝された方が、縁起由来がわからない、との話を聞くことがあるので、近い将来に不定期発行予定の「境内の自然観察地図」にQRコードをいれりゃあ、その補助にはなる。なるほどね。

 京滋バイパスを越えて、黄檗台から再度北へ。この道は西側の歩道が、一部石段になっている。車だったら見逃してしまうが、東側の歩道が平坦なのになぜ? 実は隼上がり瓦釜跡があるのだ。階段の側が史跡公園になっており、その旨が書かれている。ベビーカーのお母さんには負担かとは思うが、こういう気遣いができる行政は、何でもぶっ壊す郵政の社長は見習うように。

 ドンツキが黄檗公園。一通を逆葉走か、万福寺の駐車場から侵入して、万福寺山門へ。道中の塔頭の雰囲気が結構たのしい。中へ入ると偶然、月に一度の「布袋さんの日」で拝観無料、参道には手作りの市がたち、コンサートも開催されておりまずまずの賑わい。まぁ市の出店代を拝観料に当てているのかな? なんて思うと商売としては上手いナァと思うが、ここは素直に市を冷やかしながら、くるっと一周して参拝させて頂く。

 山門から出ようとすると、そこに見覚えのある顔が立っている。過日やんぺにした会社の上司だ。お互いになにやってんねん。という話で(笑)まぁ互いに京都をうろちょろしてるので、こういう偶然はありえる話ではあるが、いざその場に立ち会うとなると、なかなか楽しい。
 先方は、某有名病院の院長さんが、京都に来られた外人さんを出立まであちこち連れまわす段取りだったそうで、有名どころはかなり廻ったので~ ということ。

 今日は偶然、縁日で~ との話をすると、「そりゃ~喜んではるわ。けど15分で出てくるって言うてはったけれど……多分無理やな」なんて話をして、私ゃ一路旧街道へ出て、許波多神社(駅側)大善寺、宝寿寺(御蔵山聖天:神仏習合のお寺、この界隈では珍しい山王式鳥居がある)で、本日は打ち止め。

 なんせ、次回は一言寺から醍醐寺方面へ入る予定だが…あと1~2で出来そうでちぃと不安。なんせ基点が自宅からどんどん遠ざかるのと、どうしてもどがちゃがしてると家を出るのが遅くなる。

 場合によってはキューティファニー号で輪行も検討せねば……

  


Posted by 淀の生頭  at 04:48Comments(0)日々是発見